セカイ系は世界を変えられるのだろうかね

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小飼弾の本を読むと、ああセカイ系だなという感じがする。
もちろん、他にもIT系のひとはセカイ系っぽい雰囲気を出している。

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「スティーブ 砂糖水」でgoogleるだけで出てくるエピソードにも世界という言葉が入っている。
いわゆる「社会」のイメージっていうのは、そのほとんどを人間が生身で仕切っている(最後の決定が人間の対面コミュニケーションになる)のだが、IT系の世界は構造が多層化していて、基盤技術になるほど普遍的で変えがたくなる。それで、普遍の基盤のうえに個別の事象が乗っているみたいな感じがして、おれの足下の地面には国境はないぜみたいなイメージが増殖するのかもしれない。

で、セカイ系の人の話は面白い。
抽象度が高く、論理的で、つっこみばっかりいれなくてすむ。

ただそれは、セカイ系ならではの特徴だ。朝生だって東浩紀にはみんなつっこみづらそうにしている。内容が完成されていて展開に蓋然性があるからじゃなくて、論理展開の方法自体がつっこみづらい形態なのだ。
だからセカイ系の人の話は素晴らしい理論で、これを使えば世界を本当に変えられるというはなしではない。


実際、セカイ系の人の理論を使おうとすると、セカイ系とそうでない系のあいだを超えるときに間違いなく止められる。そのセカイ系キャズムみたいなのの実体は、たぶん例の対面コミュニケーションに絡む問題だろう。

キャズムのこっち側つまりセカイ系アーリーアダプターたちは、簡単にマインドチェンジしてしまい本当に世界を変えるようなセカイ系企業を作り上げる。
でも、キャズムの向こう側では変わりたくないと思っている人たちがいっぱいいる。
彼らが変わりたくないと思っているのは、変化へのリスクの見積もりが高いからだが、それを悪いと言うことは誰にもできない。変化のリスクはもっとも見積もりが難しい。だれが見積もったって十全な蓋然性は得られない。

規律訓練を無視して、身体レベルで人間を管理/コントロールするという発想は、実はセカイ系のルーツがあるかもしれない。規律訓練とか内面とかを無視すると、例の対面コミュニケーション問題がなくなる。つまり、キャズム自体を無化できて、説得以外の方法で対処できるから。

気がつくと身体的な習慣になっているような変革というのは、過去にも宗教的な方法とかで実績があるので、またできないとも限らないかもしれない。